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日本文化とアジアとの交流
―九州国立博物館の活動の
紹介をかねて―

九州国立博物館(以下、九博)の成り立ちと取り組みについて話します。九博がある太宰府は、古代、九州の政治・経済・文化の中心地でした。九州はその地理的条件から常にアジアとの交流窓口でした。とりわけ、鎖国の時代は非常に特徴的です。当時、日本の対外交易は、中国や朝鮮、オランダなど特定の国に限定され、なおかつ次の4つの港だけが、対外交易を許されておりました。長崎・対馬・薩摩・松前です。これらの港は「四つの口」と呼ばれ、お分かりの通り、対馬口、長崎口、薩摩口の3つは九州・沖縄の地に存在していました。このため、九博は、日本文化がアジアとの交流によって成立していることを展示の基本としています。

大陸の文化の伝播の一例

文化の伝播の一例として私の本来の専門である書の遺品を中心に確認します。大陸からの第1波として、文字の渡来があり、続いて仏教の伝来、王羲之書法の渡来があり、三筆から三跡への書風の変遷、万葉仮名から平仮名が成立し、書における和様の成立があった。日宋貿易・日明貿易により第2波というべき、禅宗の渡来があり、五山文化・墨跡・水墨画が日本に定着することになる。さらに、第3波として、鎖国時代にも朝鮮通信使や出島を通しての交流は続き、儒学や黄檗宗の伝来があり、唐様の書、文人思想や文人画が知識階級に広まっていきました。

九博とは

九博は、福岡県太宰府市にあり、2005年に開館した新しい博物館です。前述のとおり、当館が立つこの太宰府の歴史は古く、古代における九州の政治・経済・文化の中心地として繁栄した国際都市でした。現在はコロナ禍で人の動きが限定されており、博物館も感染予防対策を取りつつ開館しています。
九博は、国と地方自治体である福岡県が共同で管理・運営を行っています。九博の開館に結びついた直接の誘致運動は、今から40年ほど前のことで、地元の自治体だけでなく、地域住民や九州各県の経済界なども一丸となって取り組みました。また、太宰府天満宮が所有する土地が福岡県に寄附され、博物館の建設用地が予め確保されていたことも誘致を大きく後押ししました。建物は地上5階、地下2階建てで、東西160m、南北80mに亘り、免震構造です。周囲を森に囲まれた当館では、春は桜、夏に虫の声、秋には紅葉、冬は雪景色を楽しむことができます。

国際交流事業

九博では、アジアとの文化交流を推進する拠点としての役割を果たすため、海外の博物館との学術交流に積極的に取り組んでいます。現在11の機関と協定を締結しており、その内訳は、韓国が3機関、中国が6機関、ベトナムとタイがそれぞれ1機関です。

教育普及

九博では「学校よりも面白く、教科書よりもわかりやすい」をキャッチフレーズとして、教育普及活動にも積極的に取り組んでいます。

文化財の修復

当館に、九州初の本格的な文化財の修理を行う施設を設置し、またいち早くX線CTスキャナーを整備しました。この修復施設での修理は、博物館の職員ではなく、国宝や重要文化財の修理を専門とする事業者が請け負っています。

継続的な発展のために

購入や寄贈による収蔵品の充実、分かりやすい展示と広報、桜などの植樹による環境整備に努め、より多くの方にご来館頂き、学び楽しんで頂ける博物館を目指します。これからの日本は、九博のある太宰府天満宮の祭神である菅原道真の心底を吐露した「和魂漢才」の言葉が表すように、日本の精神や知恵を加えた形で多様な文化を取り入れて世界に貢献できるモノなり、考え方を作り出すことが重要かと思っています。

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